代表取締役社長の長谷川のポートレート 代表取締役社長の長谷川のポートレート

Mission

デザインで
ひらく、

デザインを
ひらく

株式会社コンセント 代表取締役社長 インフォメーションアーキテクト
長谷川 敦士

「デザイン“を”ひらく」ということ

コンセントは、ずっと「デザインをひらく」ことに取り組んできました。

我々はなにをやってきたのか、を振り返ってみたとき、常に新しい領域のデザインに取り組んできていたことに気づきました。

コンセントの歴史をたどると、集合デン(後のアレフ・ゼロ)、ヘルベチカ、旧コンセントという3つの会社にたどりつきます。そして、それら3つの会社はそれぞれ「デザインをひらく」ことに取り組んできました。

「デザインをひらく」とはなんでしょうか。

それは新しいことへのチャレンジでした。集合デンは1971年(50年以上前!)に、教科書や辞書、雑誌といった大量の情報をグラフィックデザインとして表現する、エディトリアルデザインにチャレンジした集団でした。当時(僕もまだ生まれていませんが)、ちょうど日本で紙媒体での文化が花開いたタイミングで、そこには表現、利用品質(使いやすさ)、効率性が求められていました。これはまさに、ウェブやアプリのようなデジタルプロダクトデザインにおいていま求められている「デザインシステム」の概念です。

社会環境とそこに求められているデザインとをビジネスとして成立させること、これが集合デンでした(ちなみに集合デンが株式会社化された1973年は僕の生まれた年です)。

同じことは2002年にも起こりました。当時の日本において、商用インターネットが普及期に入り、企業は広報やマーケティングへのウェブ活用を始めていました。そのとき、ウェブサイトという(当時は)まだ未知数であったメディアをどのように設計をするのか(情報アーキテクチャ)、そしてユーザーの視点に立つことで、いかに「理解」と「活用」を実現するのか(ユーザーエクスペリエンス:UX)、を実践する集団として旧コンセントはスタートしました。

我々にとって、ユーザーのスムーズな理解、効率的な構築、企業意図の的確な伝達のために、情報アーキテクチャ設計を行うことは当然でした。しかし、それはまだ世の中ではあたりまえではありませんでした。まずはサイトを立ち上げること、あるいは、当時可能なテクノロジーを使って表現を試すこと、が市場の関心事であり、ひょっとしたら我々はちょっと「早すぎた」のかもしれません。

しかし、その「早すぎるあたりまえ」にも、デザイナーの働きが必要です。デザイナーは放っておいても新しいことをやってしまうものですが、それを続けること、つまり優れたデザインをきちんと世に出し続けるためには、その早すぎるあたりまえをビジネスにしていくことが重要になります。ビジネスにする、ということはそこに市場をつくる、ということです。優れたデザインに正しい対価が支払われる市場ができあがって、はじめてそのデザインが継続的に実現されます。

2010年からは、サービスデザインも「ひらいて」きました。サービスデザインとはなにか、どうやってやるのか、専門性をどうやって向上させるのか、そういったことを探索しながら、同時に部門をつくり、ビジネスとしてサービスデザインを組織的に提供することにも取り組みました。その成果は10年が過ぎた2022年に、コンセントがサービスデザインの会社として生まれ変わったことに表れています。

さらにいま、コンセントでは、まだまだ新しいテーマに取り組んでいます。ここ5年くらいは、アプリデザインにおけるオブジェクト指向型のデザインプロセス(OOUI/OOUXプロセス)の開発に取り組んできました。これは、UIデザインにおいて、その誕生時(1970年代です!)から概念として存在しながら、社会でのデザインプロセスにおいてはまだ一般化されているとは言えません(OOUIを教えてくれるところもあまりありません)。これももっとビジネスの中で一般化されていかなければなりません。

また、コンセントには「デザインリーダーシップ」という、聞き慣れない言葉を冠した部門があります。この部門では、事業会社(我々からみたらクライアントになります)がデザインを組織的に社内に取り込もうとしている活動を支援する部隊です。社内でCDO(チーフデザインオフィサー)や、CXO(チーフエクスペリエンスオフィサー)などのデザインリーダーのポジションを用意する企業も増えてきていますが、まだ多くの企業はどうやっていったらよいかを模索中です。デザインリーダーシップのメンバーは、デザイン部門の立ち上げをお手伝いしたり、業務フローを設計したり、どういった人を採用すればよいかを一緒につくったり、そういった組織の支援を行っています。

いまではあたりまえになっている、エディトリアルデザイン、ユーザーエクスペリエンスデザイン、そしてサービスデザインにおいて、我々コンセントの試行錯誤が現在の状況・普及の一端を担っている自負、そして責任があります。

我々が見えている「あたりまえのデザイン」を、社会で活用できるものにすること。これが我々が“勝手に”感じている責任です。

「デザイン“で”ひらく」ということ

そういった中で、我々はその成り立ちから、ずっと「情報」と「意味」を扱ってきていました。紙媒体、デジタルプロダクト、そしてサービスと歴史的な変化はありますが、そこで扱ってきたものは常に「情報」であり、伝えるべき「意味」でした。幅広い対象に対して、デザインの活用を試みること。これが我々が浸っているデザイン領域です。

(これからもおそらく変化するであろう)媒体を問わず、我々が常に行っていることは、デザインによる課題解決です。特に情報を扱っているデザインにおいては、単に情報を伝えるだけではなく、ユーザーが自分なりに情報を活用できるようになるため、伝わった後の活かし方まで考える必要があります。そのため、我々にとって、紙媒体にせよ、デジタル媒体にせよ、それらは「メディア」を超えて「プロダクト(製品)」であると考えています。「情報プロダクト」と言ってしまうと語感が「情報商材」っぽいので誤解されてしまいそうですが、我々はプロダクトのデザインを行っている自覚があります。

この「情報プロダクト」によって、コミュニケーションの課題の解決、そしてその先にある社会の一人ひとりの豊かな生き方の実現に寄与すること、これが「デザインでひらく」ことです。

この「デザインでひらく」ことと「デザインをひらく」こと、の両輪は、我々が縁あってデザイン会社として社会に存在している上で、担うべき責任であると考えています。

デザイン会社に見える未来

デザイン会社に見える未来とこれからのあたりまえ、つまり「早すぎるあたりまえのデザイン」を我々はなんで追うのでしょうか。

「これからのあたりまえ」が見えることを「ビジョン」と呼びます。「見える」から「ビジョン」です。ビジョンは(都合のよい)「欲しい未来」ではなく、「見えてしまう未来」です。

どうして見えるのかというと、その分野にどっぷり浸かっているからです。デザインエージェンシー(デザイン会社)という立場は、特定の業種によらず、幅広い分野の課題に取り組むことができます。そのようなことをやっていると、これからの社会でデザインはどのように求められるのか、どうなっていくのか、が感じ取れます。これが我々が見えている「ビジョン」です。デザイン会社が見えるビジョンなので、それは必然的に「デザインの未来」です。

いま見えている、デザインのこれからのあたりまえは、刺激的な未来です。イタリアのデザイン先駆者エツィオ・マンズィーニが提唱する「デザインモード」の社会において、ソーシャルイノベーションの実現のためには、デザインは専門家のものではなく、市民一人ひとりの基本スキルであり、態度となっていくでしょう。そして、これまでの体系化されたデザインを超えて、より多元的(Pluriversal)な視点に立ったデザインが求められていくことになります。

これからのデザインを考えるためには、より多様な人々、多様な専門性、多様な文化に基づく議論が必要となるでしょう。

そこにある未来は、見えてしまえば、放って置くわけにはいきません。我々がやらねば誰がやるのだ、そんな(これまた“勝手に”感じている)義務感に突き動かされて、早すぎるあたりまえをどうやって実現するかをこれからも考え続けていきます。

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